東京工芸大学
東京工芸大学
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100年のあゆみ

本学は大正12年(1923年)に創立された、一世紀の歴史と伝統を有する大学です。「日本の写真技術の振興に寄与する人材を世に送り出し、国家の発展に貢献するためには写真教育を行う専門の学校が必要である」という理想を提唱していた小西本店(現在のコニカミノルタ株式会社)創始者である六代杉浦六右衞門が他界した後、その理想と遺志を後継した七代杉浦六右衞門が東京府豊多摩郡代々幡町幡ヶ谷(現在の東京都渋谷区本町)の地に、当時日本で最初となる、写真を専門とする高等教育機関「財団法人小西写真専門学校」を創設しました。

六代 杉浦六右衞門
六代 杉浦六右衞門
七代 杉浦六右衞門
七代 杉浦六右衞門

建学の精神

「時勢ノ必要ニ應ズベキ寫眞術ノ實技家及研究家ヲ養成シ併セテ一般社會ニ於ケル寫眞術ノ向上發達ヲ圖ル」(1923年 大正12年 財團法人 小西寫眞専門学校)
時勢の必要に応ずべき写真術の実技家及び研究家を養成し併せて一般社会における写真術の向上発達を図る

建学の精神

1847

1847

1847年8月4日
杉浦六三郎(後の六代 杉浦六右衞門)誕生

米商屋三河屋甚兵衞店の店主 父五代甚兵衞と母みねの間に六三郎が生まれる

1858
六三郎、12歳で薬種問屋・富士屋弥助の店に見習奉公に出る
1865

六三郎が8年間の見習奉公を終える

父甚兵衞が薬種問屋小西屋六兵衞店の株を譲り受けていたため、実家は諏訪町から麹町に移転していた

1872

小西六写真工業株式会社社史編纂室 編「写真とともに百年」(1973)
小西六写真工業株式会社社史編纂室 編「写真とともに百年」(1973)

1872年10月
六三郎(25歳)、初めて被写体となる
撮影者:織田織之助

六三郎が開通したばかりの陸蒸気に乗り横浜へ

横浜のイギリス商館(コッキング商会)で石版印刷、写真材料の商いを勧められる

1873
1873年4月 杉浦六三郎が麹町薬種問屋「小西屋六兵衞店」で写真材料の取り扱いを開始
(小西六写真工業株式会社創業の年)

1876

小西六写真工業株式会社社史編纂室 編「写真とともに百年」(1973)
小西六写真工業株式会社社史編纂室 編「写真とともに百年」(1973)

六代 杉浦六右衞門を襲名

日本橋本町に移転
日本橋の店の称号を「西洋薬種、写真薬種、医科器械、化学器械、印刷石版問屋本店小西六右衞門」または「小西本店」と命名

1879

六代 杉浦六右衞門に長男(甚太郎)が誕生(後の七代 杉浦六右衞門)

1902

小西六写真工業株式会社社史編纂室 編「写真とともに百年」(1973)
小西六写真工業株式会社社史編纂室 編「写真とともに百年」(1973)

六代 杉浦六右衞門が新宿に六桜社(後に淀橋工場と改称)を設立し、感光材料の開発と製造を開始

1903

「画像提供:コニカミノルタ」
「画像提供:コニカミノルタ」

1903年9月
小西本店が国産初のブランド付カメラ『チェリー手提用暗函』を生産

1916

1916年9月
小西本店が一般写真師の技術向上を目指して、夏季写真講習会を開催

社会における写真界の水準を高めることに貢献

1921

1921

1921年10月5日
六代 杉浦六右衞門 没 享年75歳

10月5日は後に東京工芸大学の創立記念日となる

1923

左:小西写真専門学校認可書、右:財団法人小西写真専門学校認可書
左:小西写真専門学校認可書、右:財団法人小西写真専門学校認可書

七代 杉浦六右衞門が六代 杉浦六右衞門の遺志を受け、「財団法人小西写真専門学校」を設立

1923年3月
「財団法人小西写真専門学校」が設置認可
「小西写真専門学校」が設置認可

読売新聞朝刊記事(1923年2月24日掲載) 読売新聞朝刊広告(1923年3月17日掲載)
左:読売新聞朝刊記事(1923年2月24日掲載)、右:読売新聞朝刊広告(1923年3月17日掲載)

生徒募集開始

1923年4月23日入学式に参列した来賓の車列
1923年4月23日入学式に参列した来賓の車列

小西写真専門学校創立[東京府豊多摩郡代々幡町幡ヶ谷(現在の東京都渋谷区本町2丁目)]

設置者:七代 杉浦六右衞門
理事長:加藤精一
校長:結城林蔵
学科構成:本科、選科、別科

1923年9月1日
関東大震災に遭遇

1926

1926

1926年3月
校名を東京写真専門学校に改称

1934

屋外でのモデル撮影実習
屋外でのモデル撮影実習

学科課程を改正
第1部 肖像写真、美術写真
第2部 写真科学、科学写真

1941
学科名を改称
第1部 写真芸術科
第2部 写真理学科

1943

軍事教練
軍事教練

1944

【東京写真工業専門学校】:提供・21期/佐藤一雄
【東京写真工業専門学校】:提供・21期/佐藤一雄

校名を「東京写真専門学校」から「東京写真工業専門学校」に改称

太平洋戦争下、写真兵器及びこれに必要な感光材料製造のための技術者を急速に養成することを目的として、校名及び学科目が改められる

学科課程を改正
廃止:第1部 写真芸術科、第2部 写真理学科
新設:写真光学機械科、写真化学工業科

1945

1945

1945年5月25日
東京大空襲で校舎焼失

1945年7月
小西六写真工業㈱の飯能工場で入学式を挙行

1945年9月29日
小西六写真工業㈱淀橋工場構内で第21回卒業式を挙行

1945年10月
小西六写真工業㈱淀橋工場構内の青年学校の施設(十二社)を借用し授業再開

1946

十二社校舎
十二社校舎

1946年2月
復興基本計画が決定

①幡ヶ谷校舎の借地権を地主に返還

②小西六写真工業㈱の管理地及び建物の継続借用

③学則変更(写真技術科と写真工業科の2学科体制)

1947

1947年12月
八代 杉浦六右衞門(三代理事長)が、校地として旧小西六綜合研究所第一部(光学)跡地を無償提供[中野区東郷町 現在の中野キャンパス]

1950

1950

学制改革により、「東京写真工業専門学校」の募集を停止

3月14日「東京写真短期大学」設置認可
写真技術科、写真工業科[東京都中野区]

1951

1951年2月24日
「財団法人東京写真短期大学」から「学校法人東京写真短期大学」へ組織変更

1953
1953年3月23日
写真工業科に写真製版技術専攻と写真工業技術専攻の2課程が設置認可
1961
写真工業科の写真製版技術専攻と写真工業技術専攻の2課程を廃止し、写真印刷科を設置
1962
1962年3月
写真技術科、写真工業科、写真印刷科の3学科となる

1964

1964

1964年2月
神奈川県厚木市飯山の地を、学部建設用地として購入

1965

旧1号館竣工
旧1号館竣工

1965年3月
工学部校舎完成[神奈川県厚木市]

1965年12月
工学部設置の設置認可

1966

1966

工学部設置に伴い、1966年1月、
法人名を「学校法人東京写真短期大学」から「学校法人東京写真大学」へ改称

校名を「東京写真短期大学」から「東京写真大学短期大学部」へ改称

1966年4月
東京写真大学工学部(写真工学科・印刷工学科)開設[神奈川県厚木市]

1967
1967年4月
工学部写真工学科の設置に伴い、短期大学部の「写真工業科」を「写真応用科」へ改称

1972

1972

完歩競争を開始
(青梅ー中野キャンパス間42km)

1973

1973

工学部に「工業化学科」を増設

1974

1974

工学部に「建築学科」を増設

1975

1975

写大ギャラリーを中野キャンパスに開設

1976

工学部に「電子工学科」を増設

工学部「印刷工学科」を「画像工学科」に改称
写真工、画像工、工業化、建築、電子工の5学科となる

短期大学部の「写真印刷科」を「画像技術科」へ改称

1977

朝日新聞朝刊広告(1977年4月1日掲載)
朝日新聞朝刊広告(1977年4月1日掲載)

1977年4月
法人名を「学校法人東京写真大学」から 「学校法人東京工芸大学」へ改称

1977

校名を「東京写真大学工学部」から「東京工芸大学工学部」へ、「東京写真大学短期大学部」から「東京工芸大学短期大学部」へ改称

1978

1978

東京工芸大学大学院工学研究科修士課程(画像工学専攻、工業化学専攻)を開設[神奈川県厚木市]

1982

1982

東京工芸大学女子短期大学部(秘書科)を開設
[神奈川県厚木市]

1984

1984

1984年4月
創立60周年記念図書館(現在の中央図書館)を開設

1985
女子短期大学部に秘書実務コースと情報処理コースの2コースを設置
1986
女子短期大学部 が、アメリカ合衆国ハワイ シャミナード大学へ3週間の語学研修を開始(1988年度まで)

1989

1989

女子短期大学部 国際教養コースを設置し、アメリカ合衆国ハイワセカレッジへ3ヶ月間の留学を開始(1998年度まで)

1990
大学院工学研究科修士課程に建築学専攻、電子工学専攻を増設

1993

建設中の厚木キャンパス本館
建設中の厚木キャンパス本館

工学部「写真工学科」を「光工学科」へ改称

12月 芸術学部設置認可

1994

1994

芸術学部(写真学科・映像学科・デザイン学科)を開設[神奈川県厚木市、東京都中野区]

芸術学部の設置に伴い、「東京工芸大学短期大学部」の募集を停止

大学院工学研究科博士課程(工業化学専攻、 電子工学専攻)を開設[神奈川県厚木市]

1997

大学院工学研究科修士課程に光工学専攻を増設し、5専攻体制となる

連携最先端技術研究センターを設立(1997年度文部科学省学術フロンティア推進事業「ハイテク・リサーチセンター整備事業」に採択)

1998

大学院芸術学研究科修士課程 (メディアアート専攻)を開設[東京都中野区]

芸術別科写真技術専修を開設[東京都中野区]

1999

工学部「工業化学科」を「応用化学科」へ改称

女子短期大学部 国際教養コースが、オーストラリア スウィンバーン工科大学へ10週間の語学研修を開始

2000

2000

風工学研究センターを設立

大学院芸術学研究科博士課程(メディアアート専攻)を開設[東京都中野区]

工学部「電子工学科」を「電子情報工学科」へ改称

2001

ナノ科学研究センター
ナノ科学研究センター

ナノ科学研究センターを設立(文部科学省平成13年度「学術フロンティア推進事業」に採択)

大学院工学研究科博士課程に建築学専攻を増設

芸術学部にメディアアート表現学科を増設[神奈川県厚木市]

女子短期大学部「秘書科」を「ビジネス情報学科」へ改称

2002

工学部「光工学科」を「光情報メディア工学科」へ改称

大学院工学研究科博士課程にメディア工学専攻を増設

女子短期大学部の募集を停止

2003

2003

創立80周年を記念し厚木キャンパスに新体育館を開設

芸術学部に日本初のアニメーション学科を増設[神奈川県厚木市]
芸術学部デザイン学科にビジュアルコミュニケーションコースとヒューマンプロダクトコースを設置[神奈川県厚木市、東京都中野区]

「都市・建築物へのウインド・イフェクト」が文部科学省21世紀COEプログラムに採択

2004

工学部の学科を再編し、メディア画像学科、ナノ化学科、建築学科、コンピュータ応用学科及びシステム電子情報学科とする

2005

2005

ハイパーメディア研究センターを設立(平成17年度文部科学省 私立大学学術研究高度化推進事業「ハイテク・リサーチ・センター整備事業」に採択)

2007

2007

芸術学部にマンガ学科を増設[神奈川県厚木市]

芸術学部アニメーション学科にアニメーションコースとゲームコースを設置

2008

大学院工学研究科の「光工学専攻修士課程」と「画像工学専攻修士課程」を改組し、「メディア工学専攻博士前期課程」を設置

大学院工学研究科の「電子工学専攻」を「電子情報工学専攻」へ改称

風工学研究センターが「風工学・教育研究のニューフロンティア(2008年度~2012年度)」グローバルCOEプログラムに採択

メディアコンテンツ研究センターが文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業に採択

2009

2009

工学部「ナノ化学科」を「生命環境化学科」へ改称

2009

90周年記念事業 中野キャンパス再整備計画「メディア芸術の拠点形成」をスタート(2009年度から2014年度まで)

2010

大学院工学研究科の「建築学専攻」を「建築学・風工学専攻」へ改称

工学部「システム電子情報学科」を「電子機械学科」へ改称

芸術学部にゲーム学科を増設[神奈川県厚木市]

芸術学部デザイン学科にデジタルコミュニケーションコースを増設

芸術学部「メディアアート表現学科」を「インタラクティブメディア学科」へ改称

2013

芸術学部デザイン学科のコースを統合

風工学研究センターが共同利用・共同研究拠点「風工学研究拠点」として認定

2014

2014

中野キャンパス再整備計画が完了

2016
色の国際科学芸術研究センターを設立( 平成28年度文部科学省 私立大学研究ブランディング事業「『色』で明日を創る・未来を学ぶ・世界を繋ぐKOUGEIカラーサイエンス&アート」に採択)

2017

2017

2017年7月
国内初「色」の常設ギャラリー「カラボギャラリー(col.lab gallery)」を開設

2019

2019

中野キャンパスに芸術学部全7学科全学生の就学地を統一

2019

工学部学科を再編成(工学科 総合工学系 機械コース、電気電子コース、情報コース、化学・材料コース、工学科 建築学系 建築コース)