東京工芸大学
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工芸ヒストリー28

創立100周年を迎えた東京工芸大学

建学の精神を受け継ぎ、未来を創る

 2023(令和5)年、東京工芸大学は創立100周年を迎えた。1923(大正12)年に小西寫眞専門学校として創立した本学は、テクノロジーとアートが融合した、当時の最先端メディアであった写真の教育と研究から始まり、現在では工学部と芸術学部という両極的な2つの学部からなる特色ある総合大学へと発展を遂げてきた。

 2021(令和3)年の創立記念日にあたる10月5日から、2年間にわたって連載してきたこの「工芸ヒストリー」も本稿が最終回となる。本稿では全28話の工芸ヒストリーを振り返りながら、その執筆の経緯や意味について記しておきたい。

新たなる工芸ヒストリー

 本学のヒストリーについては、これまでに『東京工芸大学六十年史』(学校法人東京工芸大学、1985年)や『創立80周年 東京工芸大学』(学校法人東京工芸大学、2004年)、あるいは本学同窓会が発行した『東京工芸大学同窓会80周年沿革史』(東京工芸大学同窓会、2007年)などで語られてきた。それらは、当時執筆に携わった多くの先達の思いが込められ、それぞれの時代までについて詳細に記されたもので、今回の「工芸ヒストリー」の執筆にあたっても大いに参考にさせていただいた。それまでの本学の歩みを形あるものにして残しておいてくださった諸先輩方には心より感謝したい。
 一方で、これまでのヒストリーを読み返して気が付いたことは、いずれも本学創立までの経緯や創立時の学校運営に関しては、その多くの部分が、小西六写真工業(現在のコニカミノルタ)が創業100周年を記念し発行した『写真とともに百年』(小西六写真工業株式会社、1973年)を下敷きに執筆されているということだった。
 『写真とともに百年』は、後に本学理事長となる小西六写真工業の社長であった西村龍介(第19話*3参照)の指示の下、当時、同社の社史編纂室にいた写真史研究者の亀井武(かめいたけし、1915-2001)が中心となって編纂されたもので、一企業の社史としてだけではなく、明治・大正・昭和という写真や印刷が社会に急速に普及し、大きく発達した時代において、写真史、社会史、産業史、文化史など、広い視野から歴史を紐解いた978頁(普及版は322頁)という大著である。
 同書には、本学の創立の祖である六代杉浦六右衞門の生い立ちから、写真教育機関の創立を思い立つまでの経緯、小西六写真工業の創業一族である杉浦家と本学との関わりなどについて詳しく記されており、初期の本学のヒストリーを語る上で欠かせない資料である。
 しかし、同書における本学についての記述は、あくまで小西六写真工業側からの視点で記されているため、写真の高等教育が求められるようになっていた時代背景や、本学の初期の教育内容などについて筆を尽くされているとは言い難く、それを原典としているこれまでの本学の創立ヒストリーは、いわば学外から描かれたものにとどまっていたのである。
 そこで創立100周年記念事業としてのヒストリーの執筆にあたっては、本学独自の「工芸ヒストリー」が必要であると考えた。それは創立100周年のタイミングで、本学出身者として初めて学長となった者の責務だと考えたのである。

 執筆にあたっては、当時の一次資料を調べることから始めた。戦時中に空襲で校舎を失った本学では、創立当時から残されている資料は決して多くない。しかし、創立以来の学生の全記録である学籍簿が戦禍を免れたことは不幸中の幸いであり(第11話参照)、教育機関として積み重ねられた歴史をたどる上で、一本筋の通った背骨となる資料である。また本学の図書館は国内有数の写真関連資料を所蔵しており、その中には明治期から昭和初期に発行されていた『写真月報』や『フォトタイムス』などの写真雑誌の貴重なバックナンバーが揃っている。それらから当時の本学を取り巻く写真界の状況や社会的背景などについて多くの情報を読み取ることができた。
 戦後から現在までについては、理事会や教授会の記録、そして関係者のインタビューを通してエピソードを拾い集めていった。そのように調査をしながら執筆を続けて行くことは、まるで偉大なる先人たちとの対話を繰り返すような作業であったと言える。その中には、お名前を挙げてその功績をヒストリーに残しておきたい方々が多くいらしたが、枚挙にいとまがなく、原則として理事長・学長にとどめたことはお許し願いたい。

次の100年に向かって

 本学は、1923(大正12)年に極めて先進的かつ独創的な高等教育機関として創立したが、産声を上げた直後に関東大震災に見舞われ、戦時下の空襲によって校舎を失い、戦後の混乱期を経て、新たな学制のもとで再出発して現在に至るまで、その100年の道程は決して平坦なものではなかった。しかし、先人たちの粘り強い努力と豊かな創造力によって幾多の困難を乗り越え、常に本学は発展の歩みを止めなかった。そして写真を原点とする、テクノロジーとアートを融合した教育と研究によって社会に貢献するという建学の精神は、常にぶれることなく、脈々と受け継がれてきたのである。
 本学の100年の歴史と伝統とは、ここに集った多くの人々によって築き上げられてきたものだが、それは必ずしも過去のことではなく、いま現在の教育に携わっている私たち教職員や、ここで学ぶ学生たちの力によっても日々更新され続けているのである。

 現在の工学部は、工学科として機械、電気電子、情報、化学・材料、建築の5コースがあり、2024(令和6)年からは更なる特色の強化を目指してコース改編を控えている(第27話*3参照)。工学教育をベースとしながら、最先端の画像・情報メディアであった写真を原点として、全コースに共通した情報処理教育や、写真・デザイン教育を取り入れた授業など、工学と芸術を融合した特色あるカリキュラムを実践する。
 また芸術学部は、本学のルーツから発展してきた写真学科に加え、映像学科、デザイン学科、インタラクティブメディア学科、アニメーション学科、ゲーム学科、マンガ学科という7学科からなり、クールジャパンなどで世界が注目し、日本が得意とする文化であり、同時に大きな産業でもあるメディア芸術に特化した教育が展開されている。

 2005年に制定された東京工芸大学のロゴタイプ・シンボルマークは、「テクノロジー」をブルー、「アート」をイエロー、その「融合」をグリーンとして重なる円に見立て、工学部と芸術学部の2学部を象徴しながら、本学の理念と特色を表現している*1。

 これから人類が明るい未来を築いていくには、ますます知性と感性を融合した考え方が求められるだろう。東京工芸大学のテクノロジーとアートの融合を推進する建学の精神は、次の100年においても継承され、必ず社会に役立っていくものと確信している。

 末筆となったが、工芸ヒストリーの執筆にあたりご協力いただいた多くの方々に心より感謝を申し上げたい。

2023年10月5日
東京工芸大学 学長 吉野弘章

東京工芸大学創立100周年記念展 「写真から100年」
・会 期:2023年11月11日(土)~ 12月10日(日)
・時 間:10:00-18:00 (木・金は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
・休館日:毎週月曜日
・料 金:無料
・会 場:東京都写真美術館 地下1階展示室(恵比寿ガーデンプレイス内)
・主 催:東京工芸大学
・共 催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都写真美術館

 ※詳しくはこちら→https://www.t-kougei.ac.jp/activity/archives/2023/article_85551.html

*1
東京工芸大学のロゴタイプ・シンボルマークは、「東京2020オリンピック・パラリンピック」の競技ピクトグラムでも知られるグラフィックデザイナーで、元本学デザイン学科教授である廣村正彰(ひろむらまさあき、1954− )の手による。東京工芸大学の特徴である「工」「芸」を視覚と音(オン)に訴求するシンボルとして強調することで、独自性、創造性の高さを表現している。(商標登録番号:第4868847号)

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