発展する工学部と芸術学部
工学部は5学科、芸術学部は7学科体制を確立
公開日:2023/6/5
20世紀から21世紀への変わり目を迎えて、インターネットやデジタル化などの技術革新により、表現や創造の幅は広がり、豊かな感性が技術をさらに進化させるというように、社会を発展させる両輪として、ますますテクノロジーとアートの融合が求められていた。
1996(平成8)年に田中榮学長の後を継いで学長に就任した本多健一*1は、時代の大きな変化をとらえ社会のニーズに応えるため、工学部と芸術学部の再編を進めていく。
社会の要請に応じて工学部を再編
1966(昭和41)年に設置された工学部は、厚木キャンパスを本拠地に発展を続けていた。設置当初の学科の一つである写真工学科は、1992(平成4)年に光工学科に改組し、2001(平成13)年に光情報メディア工学科に名称変更した。もう一つの設置当初の学科である印刷工学科は、1975(昭和50)年に画像工学科に名称変更した。1973(昭和48)年に新たに設置された工業化学科は1999(平成11)年に応用化学科、1975(昭和50)年設置の電子工学科は2000(平成12)年に電子情報工学科にそれぞれ名称変更された。1974(昭和49)年に設置された建築学科と合わせて、工学部は5学科体制となっていた。
さらに急速に変化する社会の方向性に合わせて、本学の工学部はどう在るべきか議論を重ね、2004(平成16)年4月に学長に就任した小林信行*2の下で、メディア画像学科、ナノ化学科、コンピュータ応用学科、システム電子情報学科、建築学科の5学科へと再編された。
メディア画像学科は、マルチメディアの中核である画像情報メディアを総合的に教育、研究するため、光情報メディア工学科と画像工学科の二つの学科を統合して新たに誕生した。写真が画像情報メディアの原点だとすれば、メディア画像学科は本学のルーツに直結する学科であるといえよう。画像情報に関わるハードウエアとソフトウエアの両面で基礎から応用まで一貫した教育を行い、ディスプレイや色彩・映像を扱う画像メディア分野、感性技術を扱うコンピュータグラフィックス(CG)分野、視聴覚情報や画像処理を扱うイメージ情報分野、光学設計や光計測を扱う光メディアシステム分野の4分野で教育と研究を展開した。
応用化学科を深化させたナノ化学科は、2001(平成13)年に開設された学術フロンティア研究拠点である「ナノ科学研究センター」と連携し、21世紀の最重要分野とも言われるナノテクノロジーに関して、物理化学、無機化学、有機・生物化学などの分野から新素材、エネルギー、環境、バイオなどの教育研究の推進を目指した(第23話参照)。
新たに設置されたコンピュータ応用学科とシステム電子情報学科は、それまで電子情報工学科にあった「情報・通信工学コース」と「電気・電子工学コース」を、それぞれ専門に特化した学科として独立させたものだ。
コンピュータ応用学科は、コンピュータの応用能力の実務的教育を学科の特色とした。身近な世界から、高度な専門領域まで、あらゆる問題解決の武器となるコンピュータを自在に活用する技術や技能を習得した人材の育成を目指した。
システム電子情報学科は、エレクトロニクスを工学の基盤技術として捉え、ものづくりの現場において幅広い視野でシステムを構築できる創造的な技術者の育成を目指した。
1974(昭和49)年に設立された建築学科はすでに30年の歴史を持ち、分野を横断するバランスの取れたカリキュラム構成で、幅広い建築分野のプロフェッショナルを育成し続けてきた。大学院工学研究科には、2000(平成12)年度に文部科学省の学術フロンティア推進事業の採択を契機として「風工学研究センター」が開設された。2003(平成15)年度には21世紀COEプログラムに本学が提案した「都市・建築物へのウインド・イフェクト」が採択されるなど、この分野で最高レベルの研究機関としての地位を確立する(第23話参照)。
こうして工学部は、時代の要請に合わせて最先端の研究と学びを実践するため、常に改革を繰り返しながら前進し続けているのである。
21世紀を見据えた芸術学部の再編
1994(平成6)年4月に写真学科、映像学科、デザイン学科の3学科で設置された芸術学部は、発足と同時に準備を進めてきた大学院の設置が1997年(平成9)年12月に認可され、1998(平成10)年4月には中野キャンパスで修士課程メディアアート専攻がスタートした*3。2000(平成12)年には大学院博士(後期)課程も発足し、2003(平成15)年には最初の博士(芸術)の学位が授与される。
2001(平成13)年に制定された文化芸術振興基本法(2017年の改正により文化芸術基本法)は、文学、音楽、美術、演劇のような従来からの芸術にとどまらず、映画、漫画、アニメーション、コンピュータやその他の電子機器等を利用した新しい「メディア芸術」の振興を目指していた。時を同じくしてメディア芸術の学府として発展を続けていた芸術学部も、新たな時代に向けて動き出していた*4。
コンピュータとインターネットの普及により、21世紀の主流となるメディアテクノロジーを活用した芸術分野で、本学が目指すテクノロジーとアートを融合させて社会に貢献する人材を育成していくため、2001(平成13)年には、全く新しいコンセプトで学びを実践するメディアアート表現学科が増設された。
芸術学部は開設以来、1、2年次の基礎教育課程は厚木キャンパスで学び、3、4年次の専門教育課程は中野キャンパスで学ぶというダブルキャンパス体制であったが(第22話参照)、テクノロジーとの親和性が高いメディアアート表現学科は、4年間を一貫して工学部と同じ厚木キャンパスで教育を実施する学科であった。
芸術学部設置当初の学科の一つである映像学科では、メディア芸術の中核的な役割を担う映像に関する学術的かつ実践的な教育と研究を実施していた。
設置当初の映像学科は、「映画」「テレビ・ビデオ」「映像表現」「メディア計画」「デジタル映像」の5つの分野でカリキュラムを展開していた。この5つの分野のうち「デジタル映像」が、新しく設置されたメディアアート表現学科の内容と重複するところが多かったため改編し、新たに映像学科の中に「アニメーション」分野が開設された。
ただ、アニメーションは他の映像分野と共通する要素は多いものの、独自の歴史と表現形式を持ち、従来の映像学科のカリキュラムの枠内では、その全容の修得が難しいのも事実であった。そのため、「アニメーション」分野を映像学科から独立させ、アニメーションを専門に教育研究するアニメーション学科を新設することが検討されていく。
そして、伝統的な技法の教育にとどまらず、デジタルテクノロジーを駆使した総合的な教育と研究を実践するアニメーション専門の高等教育課程として、2003(平成15)年4月に日本初のアニメーション学科が設置されたのである。
芸術学部は7学科体制を確立
アニメーションと同様に、日本の文化として国際的に認知されてきたマンガについて教育研究するマンガ学科の新設も早い時期から検討されていた。新学科の設置に向けて大手出版社などにもカリキュラムについての助言を仰ぎながら、物語的なマンガ表現を中心としつつ、キャラクターイラスト、カートゥーン(ひとコママンガ)、マンガ原作、雑誌・書籍編集や、新しい手法としてのデジタル表現、マンガに対する研究・批評的アプローチといった、マンガを取り巻く高度で幅広い専門技術や知識を身につけるための総合的なカリキュラムを編成することにした。
そして、新しいマンガの在り方を構築し、多様化するコンテンツ産業におけるマンガ文化を担う人材を育成することを目指し、2007(平成19)年4月に東日本の大学としては初のマンガ学科が設置された。
また2007(平成19)年4月アニメーション学科では、インタラクティブなアニメーションをクリエイトするゲーム分野を一つのコースとして昇格させ、アニメーションコースとゲームコースの2コース制をとった。このゲームコースを基に、3年後の2010(平成22)年4月、日本初となるゲーム学科が設立されたのである。ゲーム学科では、総合芸術としてのゲームを学び、あらゆるゲームの根底にある「遊びの本質」を追求しながら、単なるエンターテインメントにとどまらず、新たな表現やインタフェース、教育や医療・福祉分野への応用など、今後一層広がることが期待されるゲームの可能性を拓き、世界で通用するクリエーターとなる人材を育成することを目指した。
ゲーム学科の新設に合わせて、同年には、多様なメディアコンテンツを対象としていたメディアアート表現学科を、未来に向けてインタラクティブ性を追求したメディアの教育研究に特化するため、カリキュラムを一部変更して、インタラクティブメディア学科へと名称変更した。
これにより芸術学部は、写真学科、映像学科、デザイン学科、インタラクティブメディア学科、アニメーション学科、マンガ学科、ゲーム学科という、現在につながる7学科体制を確立したのである。
本学の芸術学部が志向してきたメディア芸術は、政府が推進してきた「クールジャパン」の流れにも沿っていた。世界から「クール(かっこいい)」と捉えられる日本の魅力を表す「クールジャパン」は、「食」「アニメ」「ポップカルチャー」「伝統工芸」「ゲーム」など日本人が典型的に思い浮かべる魅力にとどまらず、日本のさまざまな文化を世界に発信したり、新たな産業を興し、グローバルな環境の中で社会の活性化や日本のソフトパワーの強化を図るものである。
経済産業省には2010(平成22)年に「クール・ジャパン海外戦略室」が設置され、2012(平成24)年にはクールジャパン戦略担当大臣が設置された。2019(令和元)年には知的財産戦略の一環として、クールジャパンが位置付けられている。
芸術学部が推進してきたメディア芸術は、まさにこうした流れを先取りするものであり、本学の先見の明は誇るべきであろう。世界的にも注目される文化であり産業でもある日本のメディア芸術の拠点として、本学の芸術学部は最新の教育研究環境を整え、最先端の知識を持った教員が指導にあたっているのである。
註:
*1 本多健一
埼玉県に生まれ、1949(昭和24)年に東京大学工学部を卒業後、パリ大学に留学し、1957(昭和32)年に博士の学位を取得。日本放送協会(NHK) 技術研究所を経て 1961(昭和36)年に東京大学で再び博士号を取得する。1965(昭和40)年から東京大学の教員となり、1965(昭和40)年に東京大学生産技術研究所講師、1966(昭和41)年に工学部助教授、1975(昭和50)年に同教授となる。1983(昭和58)年より京都大学の教授を併任し、 1986(昭和61)年に東京大学名誉教授となる。1989(平成元)年に東京工芸大学短期大学部教授に着任し、1996(平成8)年から2004(平成16)年まで東京工芸大学学長を務め、その後名誉学長となる。1979(昭和54)年にフランス国教育功労勲章シュバリエ賞、1983(昭和58)年に朝日賞、1983年に米国写真科学技術者協会フェロー、1989(平成元)年に紫綬褒章 、1992(平成4)年に日本学士院賞、1995(平成7)年に勲三等旭日中綬章など多数の表彰を受け、1997(平成9)年には文化功労者として選出された。電気化学の分野に、光の作用を導入することにより、光電気化学という新分野を開拓するなど、数多くの独創的業績で知られ、長年にわたって光機能材料の機構解明と新材料の実現を推進した。
*2 小林信行
1946(昭和21)年、東京都生まれ。1969(昭和44)年、早稲田大学理工学部建築学科卒業、1975(昭和50)年、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程を修了、工学博士。1975(昭和50)年4月、東京写真大学講師、1978(昭和53)年に助教授、1989(平成元)年に工学部教授となり、1990(平成2)年より大学院教授を併任。2000(平成12)年4月に工学部長に就任し、2003(平成15)年に副学長、2004(平成16)年4月から2008(平成20)年3月まで東京工芸大学学長を務める。
*3 芸術別科
芸術学部の設置により、本学の原点である写真教育はメディア芸術教育を標榜する写真学科が引き継いだ。一方で写真技術を短期間で修得するための教育機関の必要性も検討された。こうした目的に向けて写真技術の修得を専門に学ぶ芸術別科が1998(平成10)年4月に発足した。芸術別科では、社会人教育も視野に入れて、修業年限1年、定員20人という少人数により個人指導も可能とする別科専任教員を配置する体制で、実技を重視した密度の濃い教育を実施した。別科を修了した学生は、その後に写真技術や制作の分野の専門家を目指す者もいたが、多くは個展・グループ展を開催するなど表現者として歩んでいった。4年制の芸術学部とは異なる目的と教育方法で写真について学ぶ芸術別科は、写真教育をルーツとする本学にとって大きな意義を持っていたのである。
*4 「メディアアート」と「メディア芸術」という言葉には、それぞれ多様な解釈があるが、本学においては同義語として扱っている。1998(平成10)年に大学院芸術学研究科メディアアート専攻が設置された当時においては、文学、音楽、美術、演劇などの従来の芸術に対して、デジタル機器などを用いた作品や、メディアコンテンツを制作する新しい芸術分野を「メディアアート」と総称することが多かった。2001(平成13)年の文化芸術振興基本法の制定以降は「メディア芸術」という言葉が一般化した。文化庁が主催する「文化庁メディア芸術祭」(1997年〜2022年)などでは、本学芸術学部7学科の教育研究分野が全て網羅されている。